2014年6月3日

健康被害を望む善意。

改めて去年の日記を読み返すと、オレも適当なことを書いて風評被害に一役買ってたなーと反省。
「福島産の食べ物は避け」るのが「一般的なケース」と、
福島産の食材が若干のリスクを孕んでるように書いちゃったけど、
米は全量全袋検査を、農作物もきちんと研究・検査されてるんだから、
つまり現在流通してる食材に関しては、日本で一番(おそらく世界でも一番)安全が保証されてる食材なわけで。
安全を気にしてそこを避けるってのは、逆に安全から離れていってるんだよな。
「食の安全が大事! でも一番安全な食材は避ける!」って、よくわからないことになってる。
上記の知恵袋の回答にも書かれてるけど、結局「気持ちの問題だけ」なんだよね。
だから食の安全を意識する人こそ、福島産食材をどんどん消費していかなきゃねって話。
福島の農家の方には申し訳ないけど、風評被害のおかげで若干安いってのも正直ありがたい。

話は戻って、どういう人が美味しんぼを擁護してるのかとネットを見渡すと、
例外なく急進的反原発派の人なのね、オレが見たかぎりは。
もちろん反原発派の中にも、それはおかしいだろ、と声を上げるまともな人は大勢いる。
つまり、擁護してるのは雁屋哲の主張に同調してる人なのな。
反原発ってだけでなく、福島で癌が増える、福島に人は住めない、って考えてる人たち。

で、こういう人たちを観察していくと、一定の特徴が見えてくる。

他県と比較して甲状腺癌の発生頻度は同程度」なんて「安全寄り」のデータが出てくると、
「そんなはずはない」「絶対に健康被害はあるはずだ」と頑として譲らない。
もちろん被験者数が異なるので現状で一概に安全だとは言えないものの、
被災者を心配するなら、一応は検証結果で健康被害が確認されなかったんだから、
「(まだ100%安心は出来ないけど)ひとまずよかった」と喜ぶべきはずなんじゃないの?

逆に、「新たに甲状腺癌が見つかった」なんて「危険寄り」のデータが出てくると、
「やっぱり危険なんだ」「それ見たことか」と騒ぎ立てる。
そりゃ被験者が自覚症状のない子供という前例のない検査をしてるんだから、
放射線云々を抜きにして、新しい数値が出てくるのは当たり前で、
その結果と放射線量との関連の有無を今後調べていく必要はあれど、
この「犯人が確定していない段階」で騒ぎ立てることは風評被害に繋がりかねない、まったく無意味な行為なわけで。
むしろ数値からは、医療機器の性能向上による過剰診断を疑うべきだと思うんだけど、
そういった冷静な分析や議論には目を伏せ耳を閉ざして、声高に被害のみを訴えるのな。

美味しんぼを擁護してる人たちがまさにこの手合いなんだけども、
事の真偽はともかく、美味しんぼが「健康被害がある」と「危険寄り」の意見を述べてくれたことこそが重要で、
「放射能で鼻血が出た」「福島に住んではいけない」と、「危険寄り」の主張だったからこそ擁護したわけだ。
逆に言うと、いくら正確な調査に基づいていたとしても、「安全寄り」の意見だったら批判されていたに違いなくて。

これって不思議な話でさ、被災者を想い、原発事故を憂い、政府や東電に憤り、
震災後の福島における健康被害を危惧し、監視していた「正義」だったはずの人たちが、
いつの間にやら「被災者の健康被害を願ってる」みたいになってんだよな。
違う言い方をすると、「健康被害がないと困る」ようにも見えたりする。
…被災者が病気になることを願う? それって正義とは真逆の立ち位置では?
ここでもしばき隊の話で書いたような、正義と悪の逆転現象が顔を出す。

さて、どうしてこんなことになっちゃったのかと考えると、二つの理由があると思うんだけども、
一つは以下の記事で書かれてる「嘘つきにならないため」って理由。

放射能被害の発生を声高に訴えてきたオオカミ少年は、悲劇を望むようになる : アゴラ - ライブドアブログ

個人的には「嘘つきになりたくない」、自分の考えてきた、やってきたことを「否定したくない」に加えて、
やってきたことを「無駄にしたくない」って貧乏性のようなものもあると思う。

余談ながら、2013年に大阪で震災瓦礫の受け入れ焼却を行った際、
Twitterで喉の痛みや咳、空気の汚れを訴えていた瓦礫受け入れ反対派の人たちがいたのね。
無論、「岩手」の「100bq/kg以下の瓦礫」を「人工の離れ小島」で処理して被害が出るはずも、
ましてや個人が0.01μSv/hレベルの線量差を体感出来るはずもなく(だとしたら線量計要らず!)、
非常にわかりやすい逆プラシーボ効果(つまり「気のせい」)であるんだけれども、
これも恥ずかしくて今さら「気のせいでした」とは言えんよなあと。

で、もうひとつの理由は…長くなったからつづく。