2012年10月31日

ペニスゲイザーとAppleへの苦言。

しかし頸椎椎間板ヘルニアがホント辛いんですよ。
すでに一年以上のキャリアになんのか。
これって一年以上、ずっと寝違えた状態が続いてるようなもんでね。地獄です。
大まかに言うと、首の後ろあたりの骨と骨の間を通ってる神経があって、
その骨の間隔が極端に狭くなってて、神経が常に圧迫されてる状態なのな。
放っておくと、神経の末端、指の先まで電気が走ったように痺れてくる。
なので、数分に一度はグーッと真下を向いて、
首の後ろの骨と骨の間隔を開けて、神経を開放してやんなきゃいけないんだけども、
周囲から見れば「なんであの人、時々チンコを確認してんだろう」って光景になるわけですよ。
80年代に下を向いて気怠い様子で演奏する音楽スタイルが
シューゲイザー(Shoe Gazer=靴を見る人)と呼ばれたけど、
それで言うなら、さながらオレはペニスゲイザーってところか。
悪くないな、ペニスゲイザー。首の痛みを呟くだけのツイ垢取ってみっか。
ホモと間違ってフォローされたりして。

iPhoneの日本語変換ってホントバカで嫌んなる。
この日記もiPhoneで書いてて、変換→決定→あ、間違えた→消去→打ち直し、の羽目に何度陥ったことか。
Appleも金持ってんならBaidu(Simeji)でも買収すりゃいいのに。
いっそジャストシステムがAppleを見切って、
CydiaでATOKをリリースしてくんないかなあ。3,000円でも買うぞ、オレは。

ついでにAppleへの悪口をもうひとつ。
iPhoneってJavascriptエンジンを二つ積んでて、
速い方のエンジン(Nitro)はSafariとiBooksでしか使えないようにしてんのな。
つまりサードパーティーの作るChromeやSleipnirなんかのブラウザはもちろん、
TwitterやEvernote、Facebook、Tumblr、Dropbox、2chなど諸々に関連したアプリ、
内臓ブラウザやJavascriptを使用するアプリはすべからく、遅い方のエンジンを使わざるを得ないんだとか。
その速度、Nitroに比べてたった四分の一! ケチくさっ!
つーか、遅いJavascriptエンジンを搭載する意味がまずわからないんだけど。嫌がらせ以外の何ものでもない。
管理という口実で儲けを独占するiTunes Storeといい、
こういうAppleの古い企業体質って本当に嫌い。
でも利用者数と比例するアプリやサービスの量と質でスマホはiPhone一択の現状、
これってヤフオクと一緒よな。シェアさえ取れば後はやりたい放題っていう。


■ 今日の一曲
Twitterでも書いたけど、秋休み(Autumn Vacation)って韓国のバンドがいい感じ。
「英語、日本語以外の言語だとポップスが新鮮に聞こえる」って方程式はいまだ健在。
日本盤のアルバムはこちら。

秋休み - ところにより雨

2012年10月26日

環境作りという趣味。

ハッ! 42歳にしてようやく気付いた!
オレは「最高の環境を作る」ことがたまらなく好きだったんだ!
ブラウザを変えたりユーティリティソフトを使ったりしてPC環境を日々改善してるのもそう、
映画やドラマのDVDを焼きまくってるのもそう、聴かないMP3を集めてるのもそう、
iPhoneを脱獄して毎日新しいTweak探しをしてるのもそう、
お笑い番組を録画しまくってるのもそう、部屋の整理整頓もそう、
PCやiPhoneに使わないソフトを多数インストールしてるのもそう、
エミュレータのロムイメージをコンプしてるのもそう、
未読の本が山積みになってるのに更に買っちゃうのもそう・・・。
もちろんこれらのことは好きでやってんだけど、音楽も聴いてない、ゲームもやってない、
映画もたまにしか見ない、録画も数週間分たまってる、本も最近読んでない。
だったらどうしてそんなことやってんだ、ってのを上手く説明出来なかったんだけど、
つまりゲームをしたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を見たり、
PCで動画の編集作業をしたり、iPhoneで写真を加工したり、
部屋に友達を招いて桃太郎電鉄大会を開いたり、
さらには小説を書いたり、プログラミングをしたり、作曲したり、芸人を目指したり・・・。
いざそれらのことを「やろうと思えばいつでも出来る」環境を作るのが目的だったんだな、と。
そしてその環境を作ることで、そのやりたいことや夢を叶えた気になって満足してるわけで。
で、もう満足してるから、実際にやるかやらないかはまったく別の話。
ようやく自分の趣味の目的を理解すると同時に呆れた42歳の秋。
大学入試前、無数の参考書を買い込んだ時点で満足し、
一切勉強しなかった当時のオレとまったく変わってないことに愕然&失禁。

乞食が嫌いだわー。心底嫌悪するわー。
あ、乞食ってのはホームレスのことじゃないよ。
ホームレスの方々は人として尊重してるからね、オレ。
じゃなくて、心の極めて貧しい輩を乞食と呼んでるわけですよ。
ホームレスと違って性格的なところだから、治せるのに治さないところに軽蔑と侮蔑を込めてね。
近所にイトーヨーカ堂があって、大型スーパーだから試食の類もたくさんやってんですよ。
「試食」だよ? 試し食いですよ、購入前の。
なのに、お茶屋さんの店先に置かれてる試飲用のお茶を、
喉が渇いたからって買う気もないのにタダ飲みしていく醜いおっさんおばはんの多いこと多いこと。
「お姉ちゃん、それちょうだい」と手渡されたお茶を一気飲みしてすぐに去っていく、その光景の悲しさよ。
喫茶店に行くでもなく、ペットボトルを買うでもなく、
タダだからと恥じることもなくそれを飲めちゃう神経の図太さがね。
もうおまえらが今の不況を作ったんじゃないかってほどにオレは憤ってんですよ。
店側が「無駄な経費」を負担してることにも気づかない振りをして、
100円200円をケチるその乞食独特の汚れた金銭感覚ね。
嫌いだわー。今すぐ死んでほしいわー。


■ 今日の一曲
最近無意識に口ずさんでたこの曲。
「誰の曲だっけ?」とググったら渡辺真知子で、
ということは小学生のころにザ・ベストテンで聴いた程度の、
しかも当時そう大して好きでもなかった曲のフルコーラスを、
オレの脳味噌はしっかり片隅に記憶してたってことで。
三つ子の魂百まで。脳ってすごい。

渡辺真知子 - 唇よ、熱く君を語れ

2012年10月15日

SNSが「運動」を助長する。

ちょっとお固い内容になりますが、現代の「運動」についての話。
原発云々よりも、こういう厄介な人が増えてきてるんじゃないかなー、と危惧してる今日このごろ。

原発問題ってのは本当に難しい。
まだ解明されてない部分があるんだから、容認か反対か、専門家でも意見が別れるのは当然で。
解明されてない、つまり今後どういう影響があるのかがはっきりとはわかってない現時点では、
「容認派か反対派か」ってのは突き詰めると、
「性格が楽観的か悲観的か」ってところに行き着くのかもしんない。

オレは「諦めちゃった容認派」で、不安の多い原発を是とはしてないけれど、
「もうすでに原発がある」以上、それをなくすことは鼻から諦めてて。
物理的な面でも経済的な面でも、今がすでに「原発がある世界」になってしまってるんだから、
それをなくそうとすると、過去にタイムスリップでもしないかぎり無理だよなと。
今から自動車やパソコンをなくそうと思っても無理なのと一緒で。
どうせなくならないものなら容認して、共生の道を探していくしかないんじゃないかなあ。

ま、それはオレ個人の考えで、容認派か反対派かってのは人それぞれでいい。
みんながそれぞれ、自分の頭で考えていけばいいことで。
だけど、そういった問題を考えるにあたって、
TwitterやFacebookなんかのSNSがすごく障害になってるなーとは思うんだよね。
・・・って、もうオレのSNS批判は聞き飽きた?(笑)

人って自分にとって心地いい意見しか取り入れなくなる生き物でさ、
いわゆる「バカの壁」っての?
意識的・無意識的に壁を作って、自分と異なる意見を排除すんのよな。
でもそれって社会問題とは関係なく、みんなが当たり前にやってることでさ。
面白い、即ち自分と感性の合う人はフォローするし、
面白くない、即ち自分と感性の異なる人はフォローしないし。
で、そういった感性の相違なら全然問題ないんだけど、
これが社会問題になると、異なる意見が耳に入ってこないって致命的でしょ。
本人も気付かない間にどんどん閉じた思考になって、右に左に流されていっちゃう。
そりゃ新聞にだって雑誌にだって偏りはあるけど、
個人の発言がすべてのSNSはその傾向が極めて強いのよな。
しかも、これはSNSの不思議なところなんだけど、
2chやブログなんかで知らない情報を目にしたら「マジで?ソースは?」と疑問を抱くにもかかわらず、
これがSNSだと相手を信じてるからか、ソースのない情報を素直に受け入れちゃう人の多いこと多いこと。
その結果、大量のデマが出回ることになって、さらなる混乱を招く。
それに、誰だって自分の意見と異なる都合の悪い情報をあえて書かないでしょ。
ネットが始まったころ、個人がマスコミと肩を並べて情報を発信出来る、なんて盛り上がったけど、
皮肉にも「情報の偏り」もマスコミと肩を並べちゃったわけだ。

ひとまずSNSの話は置いといて、今日の核心の「運動」の話。
今後核廃棄物 をどうするか、放射線にどう向き合うか、って問題も重要なんだけど、
オレが厄介だと思ってんのは、この原発問題に起因する弊害でね。
この原発問題が「運動」を身近にしちゃったって側面は、結構ヤバいことだと思ってて。
各地で原発反対、瓦礫受け入れ反対のデモが起こって、
それ自体は個人の意思を伝える手段として自由だと思うのね。
で、国内のデモなんて、参加してみれば案外普通だったりするわけでしょ。
多少の怒号はあっても、ゲバ棒もなければ火炎瓶もない、日常と陸続きの光景で。
それで「運動」に対する垣根がグッと下がっちゃうんだよな。
そして参加したことで連帯感が生まれて、「何かをやった気」になる。
この「何かをやった気」ってのは楽に得られる、ちょっとした麻薬的快感なんだよね。
また快感が欲しくなって、そこから「運動」の連鎖が始まる。
反対運動をやってる時点で、すでに国家に対して不信感を持ってんだから、
誰かがそっと背中を押してやれば、もう左翼活動家の出来上がりですよ。

じゃあ原発に反対しただけで左翼扱いされてしまうのか。
何をもって左翼活動家とカテゴライズされるのか。
そんな左翼発見器として実にいい働きをしてくれるのが「オスプレイ問題」でね。
オスプレイ(MV-22)は今までの配備機より安全だってことは、すでにデータで証明されてる。
基地問題はあるにせよ、オスプレイという特定の機種をを叩く理由はどこにもない。
それなのにオスプレイ配備反対を声高に叫ぶ人は・・・もう染まりきってるよね。真っ赤っか。

そもそも原発で問題意識に目覚めて、
自分たちの生活や未来を守る、って主旨で「運動」をしてた人たちなのに、
じゃあどうして自分に直接関係のないオスプレイ問題に行っちゃうのか。
もちろん本人の素養もあるだろうけど、
その悪しき要因のひとつとなってるのが、SNSだと思うんですな。

普段は反原発関連の発言やらリツイートやらをしてるフォロワーから、
ある日「オスプレイの配備も問題だ」と拡散されてくる。
そこで「それはまた別の話なんじゃないか?」と疑える人はいいんだけど、
信頼してるフォロワーがそう言ってんだから間違いない、って、素直な人ほど同調しちゃうのな。
SNSで生まれる「繋がり」と「拡散」ってコンビネーションは本当に諸刃の剣で、
オレが新興宗教を立ち上げるとしたら、間違いなくSNSを勧誘の手段に選ぶもんね。
良い意味でも悪い意味でも結び付きを助長する、
こういったSNSの功罪ってもっと語られてもいいと思う。

だからね、何が言いたいかというと、別にSNSが悪いってんじゃなくて、
SNSをするならそれなりのネットリテラシーが必要ですよってこと。
常に客観性を意識して、発言には責任が伴うことを理解しないと。
ネットの中じゃオスプレイは殺戮マシーンってことになってるし、
在日韓国人には悪人しかいないってことになってるし、
それらを鵜呑みにすると足下を救われますよ、っつー話。自戒も込めて。

2012年10月10日

窮屈な電脳空間。

オチも何もない独り言なんですけどね。

なんだかね、ネットって好き勝手言える場所だったはずなのに、
いつからか実社会以上に発言に気を遣う、不自由な場所になってない?

例えばディープなロリコンの人が「NO LOLITA, NO LIFE」ってブログを開設したとして。
「成人女性なんかと違って幼女はアレやコレがいいんだ」と毎日力説したとして。
これ、倫理的な話は置いといて、書くこと自体は別に犯罪でもなんでもないわけ。
単に趣味の主張をしてるだけで、「今日見た映画が面白かった」と書くのとなんら変わらないわけ。
不快に感じるなら見なきゃいいだけでさ、存在自体は決して悪じゃない。

そんな「不快なら見ない」って当たり前の選択を出来る人が減って、
「不快なら叩く」って自己中心的で稚拙な正義を振りかざす人が増えた気がするんだよなあ。
自分のブログなんかでさ、「あのロリコンブログは酷い、最低」なんて
批判や反論を書く程度なら全然いいんだよ、それは個人の自由な意見だから。
オレだって、過去にスポーツ批判やTwitter批判を何度も繰り返してきたし(笑)。
ただ、今はそれが相手への直接攻撃に走りがちだよなあと。
相手のプライバシーを侵害したり、ブログ閉鎖に追い込んだり、つい行動に移しちゃう。
例えばフジテレビデモをやってたキチガイなんてその最たる例よな。
「不快なら見ない」っていうだけの簡単なことが出来なくて、
不快なのに気になって気になってしょうがなくて自ら怒りを増幅させて、
あれこれ勝手な理由を付けて自分に正当性を持たせて対象を叩く。
でも、とどのつまりは「自分が気に入らないから」でしかないんだよね。
ちなみにあれって嫌韓の運動だったはずなのに、本人たちが一番火病ってるってのはギャグなの?
「政府と東電は嘘ばかり!」って叫んでる原発反対派が一番デマを垂れ流してるのにも笑っちゃうけども。
あ、話が逸れた。

そういう人たちってさ、ネットで個人の意見が発信出来るようになって、
TwitterあたりのSNSでその意見を拡散出来る快感を覚えて、
その意見に同意してくれる仲間がいることに興奮しちゃって、
自分が万能でもあるかのように過信した人たちなんだろうなあ。
ネットで万能感持っちゃうって・・・すげーダサくないスか?
仮に万能であったとしても、それを行使する権利なんてないはずなんだけどね。

早い話が幼稚なんだよな。
そりゃオレだってチン毛が生えただけの子供みたいなもんですよ。
でもね、それ以前の、感情をコントロール出来ない人が増えてるよなあって。
そういう幼稚でわがままで自分勝手な人って、
自分の怒りが世論と噛み合わない、賛同者がいないときってどうなっちゃうんだろう。
自分の思い通りにならない苛立ちから憤死するんじゃなかろうか。
そうならないためにも「スルーする度量」ってのが必要だよね、このご時世。

で、そんな人たちが増えてきたことによって、
ネットで「何も発言しないことが勝ち」って風潮になってきてる感があって。
発言するなら匿名で。顔を出して発言するなんて危険すぎる、みたいな。
言葉狩りがあるんなら、何も喋らないのが一番、って論理。
でも、それってどうなんだろうか、と思う。
無限の可能性がある、なんて言われてたネットの結末がそんなもんなら寂しすぎやしないか、と。

ま、冒頭に書いたようにオチはないんですがね。
犯罪が横行するような自由すぎるネットも問題だけど、
なんだか妙に真面目で窮屈なネットも嫌だなあと思った次第。

なんだかひさしぶりに毒を吐いてスッキリしたから、次回は社会問題に吠えるよ。ワンワン!

2012年10月9日

赤いナタリー。

五年前にバンコクに遊びに行った際、たいがいな目に遭ったということは以前に書いた。

バンコクにはチャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットという、
土日だけ開催される世界最大規模のフリーマーケットがあってね。
行く度に「一日じゃ回りきれんなあ」と思ってはいたものの、それもそのはず。
調べてみると、その敷地面積は実に甲子園球場の約100倍だとか! すげー。

それだけの広大な敷地が露店で埋まってる様は圧巻で、
そこでは衣料や雑貨、食品はもちろん、家具やペットまでもが売られていたりする。
でも個人的にはいかにもアジアンな雑貨って好みじゃないし、
アジア製の服のセンスってなかなかどうしようもないんで、
オレはそのマーケットに行く度、中古のスニーカーを何足も買って帰ってくんのね。

やっぱアジアだけあって、新品で売られてるスニーカーはほとんどがコピー品なんだけど、
中古に関しては、外国人の貧乏バックパッカーが金に困って売ったりするから、
ちゃんと本物の、日本の古着屋でもなかなか見かけない珍品が転がってたりもして。
いや、実はそれも「コピー品の中古」なのかもしれないんだけど、
ある程度履き古すと、コピー品が持つ「いかにもコピー品な感じ」って消えるでしょ?

ちょっと脱線するけど、オレ基準としては「もしコピーでも、本物と思えればオッケー」なのね。
オレが本物と思って買って、本物と思って履いて、本物のように満足出来れば、それはもう本物じゃん、と。
逆にいくら精巧でも、コピーとわかっちゃったら買いたくない、みたいな。

閑話休題。
ウィークエンド・マーケットにはそういう中古スニーカー専門の露店が何軒もあって、
そこには身長ほどの高さにスニーカーが山積み(本当に山積み!)されてるわけ。
そこで宝探しよろしくゴソゴソと山を漁って、自分好みのスニーカーを探しのが楽しくてさ。
やっぱりナイキやニューバランスなんかはバンコクの金銭価値からすると結構高いんだけど、
それでも日本の古着屋なんかと比べたら3分の1くらいで買えちゃうから、
行くと毎回4、5足まとめ買いして帰るのね。

さて、長い前置きを経て、ここからがようやく本題。
五年前にそこで買ったクラークスのナタリーがありまして。
スニーカーではないけど、その山から掘り起こした逸品。
もともとナタリーは好きだし、コンディションもなかなかいいし、
とにかくこの美しい発色のスウェードにガツンとやられちゃって。
左右の「Wallabees」のロゴの色が違うのもイカす。
赤いスウェードのナタリーって見たことないからコピー品の可能性も捨てきれないものの、
「海外の限定品かも」と、そこは先述したように「本物と思い込んで」自分を納得させてさ。
値段も約4000円と、バンコクにしてはそこそこしたものの、
サイズもピッタリだったし、この出会いは大事にしなきゃと迷わず購入。

でも、なかなか赤いスウェードの靴って履く機会がなくてさ、
ここぞってときに履こうと思って、ずっと大事に取っておいたのね。
で、今年初旬の引っ越しまで、五年間一度も履かずに靴箱に収めたまんまで。
さすがに今後はもうちょっと履きたいな、なんて、
引っ越しの整理をしながら、靴を足に合わせてみたわけ。
・・・あれ、小さい?
纏足でもされてるかのように、つま先がギューっと締め付けられて、
とても履いて出かけることなんて出来ない痛さで。
でも買ったときはジャストサイズだったんだよね。
だから、オレの足って五年でデカくなっちゃったのかな、とか、
スウェードって手入れを欠かすと縮んじゃうのかな、とか、いろいろ考えたんだけど、
よくよく見ると、根本的な欠陥が。
さ、左右のサイズが違う!
左は27.0なのに、右は26.0! 買ったとき、左足しか見てなかった! ショック!

おそらく山積みの中で互い違いになってたんだろうなあ。
五年間「とっておき」だったナタリーは、引っ越しの整理中だったこともあり、即処分と相成りました。ギャフン。