2012年10月15日

SNSが「運動」を助長する。

ちょっとお固い内容になりますが、現代の「運動」についての話。
原発云々よりも、こういう厄介な人が増えてきてるんじゃないかなー、と危惧してる今日このごろ。

原発問題ってのは本当に難しい。
まだ解明されてない部分があるんだから、容認か反対か、専門家でも意見が別れるのは当然で。
解明されてない、つまり今後どういう影響があるのかがはっきりとはわかってない現時点では、
「容認派か反対派か」ってのは突き詰めると、
「性格が楽観的か悲観的か」ってところに行き着くのかもしんない。

オレは「諦めちゃった容認派」で、不安の多い原発を是とはしてないけれど、
「もうすでに原発がある」以上、それをなくすことは鼻から諦めてて。
物理的な面でも経済的な面でも、今がすでに「原発がある世界」になってしまってるんだから、
それをなくそうとすると、過去にタイムスリップでもしないかぎり無理だよなと。
今から自動車やパソコンをなくそうと思っても無理なのと一緒で。
どうせなくならないものなら容認して、共生の道を探していくしかないんじゃないかなあ。

ま、それはオレ個人の考えで、容認派か反対派かってのは人それぞれでいい。
みんながそれぞれ、自分の頭で考えていけばいいことで。
だけど、そういった問題を考えるにあたって、
TwitterやFacebookなんかのSNSがすごく障害になってるなーとは思うんだよね。
・・・って、もうオレのSNS批判は聞き飽きた?(笑)

人って自分にとって心地いい意見しか取り入れなくなる生き物でさ、
いわゆる「バカの壁」っての?
意識的・無意識的に壁を作って、自分と異なる意見を排除すんのよな。
でもそれって社会問題とは関係なく、みんなが当たり前にやってることでさ。
面白い、即ち自分と感性の合う人はフォローするし、
面白くない、即ち自分と感性の異なる人はフォローしないし。
で、そういった感性の相違なら全然問題ないんだけど、
これが社会問題になると、異なる意見が耳に入ってこないって致命的でしょ。
本人も気付かない間にどんどん閉じた思考になって、右に左に流されていっちゃう。
そりゃ新聞にだって雑誌にだって偏りはあるけど、
個人の発言がすべてのSNSはその傾向が極めて強いのよな。
しかも、これはSNSの不思議なところなんだけど、
2chやブログなんかで知らない情報を目にしたら「マジで?ソースは?」と疑問を抱くにもかかわらず、
これがSNSだと相手を信じてるからか、ソースのない情報を素直に受け入れちゃう人の多いこと多いこと。
その結果、大量のデマが出回ることになって、さらなる混乱を招く。
それに、誰だって自分の意見と異なる都合の悪い情報をあえて書かないでしょ。
ネットが始まったころ、個人がマスコミと肩を並べて情報を発信出来る、なんて盛り上がったけど、
皮肉にも「情報の偏り」もマスコミと肩を並べちゃったわけだ。

ひとまずSNSの話は置いといて、今日の核心の「運動」の話。
今後核廃棄物 をどうするか、放射線にどう向き合うか、って問題も重要なんだけど、
オレが厄介だと思ってんのは、この原発問題に起因する弊害でね。
この原発問題が「運動」を身近にしちゃったって側面は、結構ヤバいことだと思ってて。
各地で原発反対、瓦礫受け入れ反対のデモが起こって、
それ自体は個人の意思を伝える手段として自由だと思うのね。
で、国内のデモなんて、参加してみれば案外普通だったりするわけでしょ。
多少の怒号はあっても、ゲバ棒もなければ火炎瓶もない、日常と陸続きの光景で。
それで「運動」に対する垣根がグッと下がっちゃうんだよな。
そして参加したことで連帯感が生まれて、「何かをやった気」になる。
この「何かをやった気」ってのは楽に得られる、ちょっとした麻薬的快感なんだよね。
また快感が欲しくなって、そこから「運動」の連鎖が始まる。
反対運動をやってる時点で、すでに国家に対して不信感を持ってんだから、
誰かがそっと背中を押してやれば、もう左翼活動家の出来上がりですよ。

じゃあ原発に反対しただけで左翼扱いされてしまうのか。
何をもって左翼活動家とカテゴライズされるのか。
そんな左翼発見器として実にいい働きをしてくれるのが「オスプレイ問題」でね。
オスプレイ(MV-22)は今までの配備機より安全だってことは、すでにデータで証明されてる
基地問題はあるにせよ、オスプレイという特定の機種をを叩く理由はどこにもない。
それなのにオスプレイ配備反対を声高に叫ぶ人は・・・もう染まりきってるよね。真っ赤っか。

そもそも原発で問題意識に目覚めて、
自分たちの生活や未来を守る、って主旨で「運動」をしてた人たちなのに、
じゃあどうして自分に直接関係のないオスプレイ問題に行っちゃうのか。
もちろん本人の素養もあるだろうけど、
その悪しき要因のひとつとなってるのが、SNSだと思うんですな。

普段は反原発関連の発言やらリツイートやらをしてるフォロワーから、
ある日「オスプレイの配備も問題だ」と拡散されてくる。
そこで「それはまた別の話なんじゃないか?」と疑える人はいいんだけど、
信頼してるフォロワーがそう言ってんだから間違いない、って、素直な人ほど同調しちゃうのな。
SNSで生まれる「繋がり」と「拡散」ってコンビネーションは本当に諸刃の剣で、
オレが新興宗教を立ち上げるとしたら、間違いなくSNSを勧誘の手段に選ぶもんね。
良い意味でも悪い意味でも結び付きを助長する、
こういったSNSの功罪ってもっと語られてもいいと思う。

だからね、何が言いたいかというと、別にSNSが悪いってんじゃなくて、
SNSをするならそれなりのネットリテラシーが必要ですよってこと。
常に客観性を意識して、発言には責任が伴うことを理解しないと。
ネットの中じゃオスプレイは殺戮マシーンってことになってるし、
在日韓国人には悪人しかいないってことになってるし、
それらを鵜呑みにすると足下を救われますよ、っつー話。自戒も込めて。